リベンジ子育て(2):新年の幕開けで感じること

hokenC

2024年元旦から入院中の親族のところへお見舞いに行ってきました。今ではコロナ禍を経て、その渦中ではありませんが、現在でも面会制限があり、「2名まで15分間」というルールがあります。帰宅後は残ったおせち料理の量を確認していると・・・

目次

木造家屋が横揺れして・・・

携帯電話の地震速報が大きく鳴り響きました。久しぶりの音量に驚きながらリビングに集った家人たちと1度目の揺れを感じました。どうやら一旦はおさまった様子だったので私はトイレへ行き過ごしていたら、平衡感覚が狂ったようにめまいがしてきました。「これは大きな地震がやってきた」のだと考えてテレビを見ながら状況を確認しました。

震源地は関西ではなく、北陸であることを知りました。
我が家は震度3〜4程度のものであったと思いますが、家屋がギシっと音がするような横揺れでした。
北陸の能登半島では以前から群発地震が発生していて、毎夕視聴しているYouTubeでも「大地震が心配な地域」との認識がありました。震度7の地震を私は体験したことがありませんが、大阪北部地震では震度6弱の揺れを体感し、職場へ向かう時のことを思い出しました。当時は大阪駅のビルが立ち並ぶところを歩いていましたので、頭上から大きなガラス窓が多量に落ちてこないか恐怖を感じました。実際には耐震構造が駆使された建築物ばかりで、そのような事態にはなりませんでしたが、命を守るために携帯電話からなるアラームが交感神経を発動させるためのスイッチになっていたと感じています。

被災された方に何もできない私は

「市町村保健師を今でも続けていたら」と考えています。被災地の保健師であれば住民の安全と健康を守るために休みなく活動することになったと思います。「眠れない、食べられない、寒い、トイレにも行きづらい、安堵できる場所と時間がない、さらなる地震への恐怖、大切な人の安否が確認できない・・」このような思いは想像を絶するもので、体験してはじめて実感できるものと感じます。

保健師として、心理師としての知識は現場で多少役に立ったとしても、生活の基盤が安定しない状況では「無理をしすぎてしまうのか、脱力してしまうのか」この2極に分かれてしまうような気がします。

不穏な気持ちの向かうところ

新年を迎えてから、嫁ぎ先のお墓に3回参っています。お墓で使用している花立てを新調したり、お花をどんどん追加したりして一体何をしているのだろうか?
この地には、血縁関係が全く確認できないご先祖様が眠っておられるのだけれど、どこかとどこか、誰かと誰かが繋がった根を、脈々と伸ばしているのではないだろうか・・・

いつ、どこで、誰もが、大きな地震や災害に被災する可能性がある。私たちはそのような列島に住んでいるのだから、毎日を悔いなく過ごす必要性があるのだろうと再認識したところです。

怖がりの私がしていること

阪神淡路大震災では若き知人が家具の下敷きになって最後をむかえました。以降、私は重たすぎる婚礼家具一式を手放し、背の高い家具を所有しないで済むように、少しずつ少しずつ私物を減らして過ごしてきました。冷蔵庫や食器棚には突っ張りをして、倒れるまでの時間をかせぐよう設置確認を時々しています。それでも、どこで被災するのかわからないので、水と保存食の確保は常に必要だと考えています。

我が家は木造2階建の住居ですが、ここ2〜3年は断捨離を決行して屋根裏部屋や2階の居室の重量は年々軽くしてあります。まだまだ、すべきことはあると思いますが、当たり前の日常を出来る限り元気に過ごすことが、最も大切な防災アイテムということになりそうです。

hokenC

大人になっても、こんなに怖い体験があるのですから、幼い子どもたちや高齢者の皆さんは本当に大変な状況を過ごしておられると思います。

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次